“バベルの図書館” 第10巻『聊斎志異』蒲 松齢、ホルヘ・ルイス・ボルヘス ― どうせ読むならバベルにせいっ!その10


ボルヘスが「何の人」であるかと問われたならば、私なら「本読み・本好き界の大家」というふうに答えるだろう。作家・小説家・文学者としても、あるいは時代と巡り合わせから数奇な人生を送ることになった大人物としても著名なボルヘスではあるが、その「能力」や「偉業」を云々するよりは、その書物愛と知識欲と好奇心、そしてとりわけ無邪気さこそを、愛で羨ましがり感嘆するのがちょうどいいボルヘスの愛し方であろうと思うのだ。



ボルヘスや “バベルの図書館” を知る以前に、酔狂な脇道好みから平凡社の大冊『奇書シリーズ Ⅵ 聊斎志異』をたまたま読んでいた私だったが、後にこの叢書に『聊斎志異』が入っているのを見つけた時には、さもありなんとなぜかしら嬉しくなったものだ。



「偉大な文芸人」「20世紀最大の前衛文学作家」のようにボルヘスを聞きかじり読みかじりで間接的にのみ知っている人には、このびっくりするくらい「できの悪い短篇」の居並ぶ集を手に取って訝しむ向きもあるかもしれない ー この幻想/ホラー短篇群は果たして面白いものなのか、と。安心していい、それらは普通の意味では「面白く」はないのだから。それらは、「西洋型」の「現代」の「短篇小説」に慣れ親しんだわれわれがそれを期待して読もうとすると「そういうふう」には面白くないだけだ。



中国とボルヘス、といえばボルヘス流の悪ふざけ:『続 審問(あるいは『異端審問』)』中の「ジョン・ウィルキンズの分析言語」での “シナの百科事典” の話が有名だが、『聊斎志異』に対するボルヘスの、愛でよう面白がりようにもそれと通じるところがあろう。ボルヘスを含めて「われわれ」は、とんでもなく素っ頓狂なものにわれわれには思えるものに出逢うと認識上のショックからある種の笑いを味わう。それは時に愚かで遅れたものに対する蔑笑ともなり得るが、余裕と知性を持ち合わせる者になら往々にして慈しみと感謝の念すら伴う笑いである。死活の、危急の、絶体絶命のエピソードになるはずの話であっても『聊斎志異』の各篇は妙におっとりと飄々と艶然と微笑ましくあり、それはたとえば私のようなホラー好きには、毒気を抜かれて拍子抜けしやがては妙にクセになってくるような、かわいらしく牧歌的な怪異譚である。原典全491篇の中から12篇をボルヘスがどのような基準で選んだのかは微妙なところだが、道教・道士が活躍するおおらかでとっぽい幻想世界の奇妙にリラクシングな寛ぎはひとつのコアではあるだろう。





  

 


にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  
にほんブログ村

プライバシー・ポリシー

プロフィール

Author:eakum
はてなダイアリーから引っ越してきました

スポンサード・リンク






カテゴリ
全記事表示リンク

全ての記事を表示する