『ローズマリーの赤ちゃん』アイラ・レヴィン — モダン・ホラーの母ちゃん

アイラ・レヴィンは恐るべき小説家である。あえて「作家」と呼ばないことはレヴィンにとっては一種の褒め言葉になるだろう。レヴィンには文学性とか作家性などというものはないといっても過言ではない。その作品のジャンルはホラー/ミステリ/SFの全体集合円に収まり得るものだが、彼をジャンル作家と呼ぶのはためらわれるし、おそらく誤りでさえあるだろう。



その代表作を三つ挙げれば、『死の接吻』『ローズマリーの赤ちゃん』『ブラジルから来た少年』となろう。それぞれ’53年、’67年、’76年の作である。
『接吻』ではハイスミスに先駆け、アプレ・ゲールの恐るべき青年像を驚くべきスタイル/構成のミステリで描き、ジャンル・マーケットの枠を破る。
『ローズマリー』ではブラッティに先駆け、現代のニューヨークにリアルな狂信者集団を出現させ、真にモダンなモダン・ホラーでオカルト・ブームを巻き起こす。
『ブラジル』はSF/医学ホラーとフォーサイスの合体で、数々のクローン+陰謀ものの嚆矢となる。



すべてがベストセラーとなり映画化もされたことは、ついでの当然の結果に過ぎない。時代に先んじることで時代精神の鏡像を作り、ただスゴい小説を読みたいだけのすべての読書子の欲求に応える ― レヴィンのタスクはおそらくそのようなものであり、彼自身は下手をすればミステリ/ホラーの読者ですらないのかもしれない。



その間約10年ずつのブランクは、ジャンル読者でもないひとりの劇作家が、ワン・オフのフレームワークとメソッドをゼロから造りあげひとりのジャンル作家を育てあげる年月でもあろうか。もと神学生でもあるブラッティが『エクソシスト』を書く以上に、その培養は難事であるはずだ。



『ローズマリーの赤ちゃん』のエコーは、以降のすべてのモダン・ホラーの古典にいくつも聴きとれる。ブラッティやキングに受け継がれることになるスーパーマーケット・リアリズム、映像的な決めシーン、細部に宿る知的なスリル、普通の人々の普通の生活感情。迷信なき現代に生きるわれわれを易々と神話的超自然世界へと誘いこむそのメソッドの先駆は、ホラー/ミステリ界にも探しだすのが至難である。モダン・ホラーの金字塔であるのみならず、現代エンタテインメント小説すべてのひな形とさえ言えるだろう。



小説読みの頭の中で、ジンネマン、タルコフスキー、ポランスキーの名は同じひとつのひきだしに押しこめられている。われわれの頭の中に浮かぶ映像は彼らの撮ったそれではなく、そしてもちろん、より良いものだ。


 





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