『自由の牢獄』ミヒャエル・エンデ ― ボルへシアン特捜隊 報告書#1

ボルヘス系傑作短篇を探索する途は、ある意味、傑作パワー・ポップを探索する途に似ている。両者とも時として、才能・努力・経験・技術とは関係なく突発的に生まれ、その道を知る数奇者の嗅覚によって見出されるのをひっそりとどこかの片隅で待っているものだからだ。このシリーズでは私が発見したボルヘス風短篇の傑作群をひっそりと紹介していくことにしよう。



ミヒャエル・エンデの名は、『モモ』と『はてしない物語』の作者というだけでもう十二分に有名で、ボルへシアンがその渉猟の旅路の途上ででくわすものでもないように思われる。が、エンデ晩年のこの短篇集は、モチーフ、手法、軽みの点で実は強力にボルヘス風味であり、その白眉たる2篇では、ある意味ボルヘス以上にボルヘス流であったりもする。採りあげない4篇も優秀なファンタジーであることをお断りしつつ、ここではあくまでボルへシアンの視点から、読むべき4篇を紹介するにとどめておこう。



「ボルミオ・コルミの通廊 ― ホルヘ・ルイス・ボルヘスへのオマージュ」はその副題どおり、ニートにコンパクトにまとまった、ボルヘス流短篇のモデル化とも言えるパワー・ポップだ。奇譚のネタ自体を語る以上に眩惑的衒学ネタを過大に語り、言わば “ 怪談を装った笑い話 ” に仕立てるのはボルヘスのオハコだが、ここでのエンデは実に見事にそういうボルヘスになり切っている。幻想譚に対するメタ幻想譚 ― そのメタな部分こそがボルヘス流の旨味の真髄なのだが、微妙なバランスが勝負の難しい料理であり、この短篇ほどの成功例は珍しいと言っていい。

続く「郊外の家 ― 読者の手紙」は、『「ボルミオ・コルミの通廊」の著者へ』という書き出しで始まる、旧き良き手紙フォーマットによる幻想譚。ボルヘスによるラヴクラフトのパロディといった感のある佳作だが、遊戯性にやや欠けるのがタマにキズか。だがむしろ、この「ボルミオ」>「郊外」とつながる構成上の流れこそがより強い遊びとなっており、エンデの構想として、一冊まるごとボルヘス流メタ幻想譚、といった絵図があったのではないかとうかがわせる。

「夢世界の旅人マックス・ムトの手記」は、エンデ一流の広大なファンタジー世界をボルヘス的飛び道具メソッドで20ページに集約してみせる、単なるオマージュを超えた離れ業だ。ヒーロー:マックス・ムトが行く先々で遭遇する数々の怪異の事件簿 ― そんな胸躍る長大シリーズをほのめかしだけで包含するとは!長編ファンタジーの一流作家エンデ晩年の、より論理的で、より無能で、より怠惰なマスター・ピース。

“20世紀文学の最前衛/最先端” などと不用意・無責任にキャッチを打たれることの多いボルヘスだが、その方法論/文学観の真に恐るべき点は、文学の最先端だとか実験性だとか進化だとかそんな考え方自体を無視し無化するところにあるだろう。その方法論を推し進めた先には、作者という名の無数にして一人の作家の、文学という名の無数巻にして一作の作品があるのみ、なのだ。
上記の「マックス・ムト」、及び「自由の牢獄 ― 千十一夜の物語」は、そんなボルヘスのコンセプトを如実に具現化する会心の一作と言っていい。説話集/寓話集の中の作者不詳の一話を擬したこうした短篇を、物語作家としての力量の粋を尽くしてでっちあげる ― 個性や記名性を意図的に排したそんな創作こそが、短篇創作とアンソロジャイズが等価であるようなボルヘス道の、当然の帰結であるはずだ。と、まあ、そんなヒネクレた理論的賞讃はさておいても、ラファティやシェクリイを想わせる数理論理学ギャグだけでも十分に楽しめる傑作悪ふざけ短篇。








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