『血液と石鹸』リン・ディン ― ボルへシアン特捜隊 報告書#2

ボルヘス流短篇を渉猟する徒は、パワー・ポップの世界の法則とよく似てボルヘス流短篇だけを書きボルヘス流短篇の一流どころとして知られるような作家が存在しないことを、残念ながら知っている。私の狭い見識からいえば、シェクリー、レム、エンデ、ミルハウザー... いずれも作家としての本筋を別にちゃんと持ち、たまたま時に、しかも往々にして自覚的に、ボルヘス流を意識してボルヘス的な遊び/挑戦を試して成功している例である。そんな意味ではボルヘス流短篇とは、有心の果ての無心みたいな境地が訪れた時、ふっと降って湧くようにできあがるような、簡単なのか難しいのかさえよくわからない奇妙な名人芸であるのかもしれない。



柴田元幸氏の独自嗅覚によって見出され編まれたこのリン・ディンの短篇集は、本国アメリカでの第一短篇集とも異なるもので、「ちゃんと」作られた短篇小説と、もう一歩なボルヘス/レム的な試みと、詩のヴァリエーションともいえるものと、補稿みたいなものから成っている。それはもしかしたらリン・ディンという作家/詩人の全体像を示し世に問うものではなく、彼の文筆家としてのあるいち時期の1トピックだけをピック・アップしてスポットライトした、日本オリジナル編集盤の新人バンドのファースト待ちミニ・アルバムみたいなものといえるかもしれない。われわれには残念なことに、その後のリン・ディンの邦訳刊行作品はない。また「アメリカに移住したヴェトナム人作家」のほうのアイデンティティ/タスクの重みがより大きいらしく、おそらくわれわれの守備範囲からはこれ以降外れることになる。



ここでは、手に取った者を一気にドライヴし狂喜させるにちがいない最初の二篇だけを紹介するに留めよう。それ以外にも楽しく読める/読めないことはない/ボルヘス流でなくもない短篇・断片がないわけではないが、特捜隊の名にかけて双手をあげておすすめするわけにはいかないからだ。

「囚人と辞書」は驚異的なパワー・ポップだ。ボルヘス流短篇に求められるもの、というかわれわれが求めるもののほとんどを併せ持っている。限定的な地域性や時代性をあっという間にいつのまにか無化し、無国籍汎時代性の物語世界をすばやく創りだし、ストーリーの面白さで引き込むかに見えて、その実、思索的な遊戯性だけがその先には待っている。ボルヘス流の、しかつめらしい顔の裏にジョークを隠し持つすっとぼけ美学が理想的に再現されている。モチーフからトレヴェニアンの『シブミ』の1エピソードも連想される。

「"!"」もまた、できの良いボルヘス流短篇だが、特捜隊のわれわれ以外には他の「文学性」もいろいろ思い浮かぶのかもしれない。思いっきり地域性や固有名詞を使っているにもかかわらず、あるいはその無造作さ無意味さゆえにその「リアリティ」が逆説的に消し飛ぶという「トレーン」に通じる無手勝流の腕前を感じさせる。「囚人」と同様にまたそれ以上に、人間リン・ディン、ヴェトナム系アメリカ人リン・ディンの悲哀の裏返しとしてのブラックな笑いが辛うじてボルヘス流に結実している例なのかもしれない。



残りの収録作はわれわれには落ち穂拾い的なものになる。習作もしくはデッサン、メモ的な「作品」も多く、たとえボルヘス的試みとしても秀作ではなく、また他の誰かの試みと似ている。ちゃんと出来あがった短篇小説群も面白く読めるとしても特にボルへシックであるわけではない。翻訳家・アンソロジスト・詩人としても活動するリン・ディンがこの先ボルヘス道にたまには戻ってきてくれるのかはわからないが、その時は柴田元幸氏を恃みにするしかないだろう。









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