『シェイヨルという名の星』コードウェイナー・スミス ー レヴュワーに生きがいはない

もし最高のSF作家を一人選ばなければならないとしたら(確かにそのような途方もない選択を義務づけられているわけではないが)、その人物は紛れもなくコードウェイナー・スミスであろう。彼の作品にはSFの昨日があり、今日があり、そしてたぶん、明日さえもがある。



'50、'60年代発表のスミス作品はそれ以降にアメリカで書かれたすべてのSFを予兆し、凌駕してすらいる。ヴァーリイの作品と米ニュー・ウェイヴのそれは、スミスの存在なくしては考えられない。そしてヴァーリイの系譜に連なる一時代に一人のクールなブーム・メイカーがSFの平均株価を一気に引き上げるのだ。



コードウェイナー・スミスことポール・マイロン・アンソニー・ラインバーガー博士は朝鮮戦争で補完機構的作戦行動を実行し、何万もの無駄に失われていたであろう人命を救った。その辺の事情は『鼠と竜のゲーム』収録のJ・J・ピアスの序文に詳しい。そこに書かれた博士の略歴と人柄はその作品の解題に少なからず有効なのだが、まずは食わず嫌いへの招待状として紹介しておけば十分であろう。ここでは駆け足で今日サイバーパンクと呼ばれているジャンルを予兆すると同時に超えてしまっているこの集の2短篇を検討するにとどめておこう。

「クラウン・タウンの死婦人」は泣かせる傑作だ。補完機構の非情にも慈悲深き正義の感覚はこの短篇を読んで泣いた後ならすべて理解できよう。するとスミスの作品が “SF界随一の詩人による絢爛たるファンタジー” などではまったくない、ということが呑みこめる。レムのスミス評は彼の経歴にどす黒い汚点を残そう ー 現代の読書子はその轍を踏んではならない。

「シェイヨルという名の星」の独創的な地獄の中で、読者は登場人物の各々への感情移入を通して倫理的な矛盾をも味わう。矛盾 ー それこそがスミス作品の魅力の最大の源であると同時に、その未来史の点景のひとつひとつがじわじわと緻密に描き出す長大な精神史の原動力となるものなのだ。いずれ恐ろしいはずのシステムの内で慣れっこよろしく日常を送る登場人物たちがひとつの非道に義侠心から立ち上がる、その痛切さの描写にスミスの常なる美点がある。



想えば「死婦人」を初めて読んだ時、私をスミスから遠ざけたのは “詩人” 云々一辺倒の惹句とそれを無理からぬものとする先進的にすぎるイメジャリの洪水であったろうが、それにもまして私のキャパシティの不足であったろう。カードやヴァーリイによって新たな嗅覚を授けられて以来の慚愧ゆえの沈黙裡の約束を私はいまこのエントリで果たす。









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