『夢十夜』より「第三夜」夏目漱石 — ノヴェレットの魔術師#1

唐突に始めることにしたこのシリーズ「ノヴェレットの魔術師」は、主には短篇集を採りあげる際に駆け足で触れる程度に留めがちな、ながら実は何百字でも費やして語りたい珠玉の短篇をしっかりみっちり語ることをタスクとするものだ。良い長編と並ぶくらいにあるいはそれ以上に、良い短篇を偏愛する私であってみれば、こうしたシリーズを立ち上げることになるのもまた必然、時間の問題だったと言える。過去に採りあげた短篇集や作家の作品にも再び焦点をあてて採りあげ直すことも、ノヴェラの範囲に入る作品を採りあげることもあろうという「おことわり」とともに、このなくもがなの口上を終わらせよう。



教科書でもお札でも日本社会全般でもあまりにもおなじみのため逆に、夏目漱石という小説家の驚異的な小説書き能力は見過ごされがちである。シオドア・スタージョンやスティーヴン・キングやH・P・ラヴクラフトの小説に夢中だという現代の中高大生はいても、その同じ目で漱石を読んでみようという人は少なかろう。ガイブンこと海外文学のファナティックな新入門者には「日本文学」というものが多かれ少なかれオワコンとみなされていることも含めて。



ローレンス・スターンの『トリストラム・シャンディの生活と意見』の持つノヴェル/メタフィクションの新規性に鋭く反応し、その小説家デビュー作『吾輩は猫である』を書いた初期の漱石は、50年は時代に先んじた驚くべき小説書きとしてこそまず評価されるべきである。そして、幻想短篇集である『夢十夜』中の必殺の傑作「第三夜」は、私にはW・F・ハーヴィーの「炎天」と並ぶ "不条理の恐怖" モノとして何十年にも及ぶ再読に堪える珠玉のホラー短篇だ。



1910年の「炎天」に負けず劣らず、1908年の「第三夜」のモダンなホラー意匠には、永遠の古典たるエヴァー・グリーンな鮮烈さがある。「こんな夢を見た」という掟破りな書き出しで一足飛びに無時代なホラー空間に読者を引きこむその力量には、漱石のストーリー愛好者とストーリー創作者ふたつながらのプログレッシヴ趣味が反映されていよう。時代・国籍・文化圏のちがいを超えて「現代人」たるわれわれをあまねく原罪的恐怖空間に引きずりこむそのメソッドは、「明治の文人」のそれを軽々と超越している。犯してもいない罪を責められるその心ざわめく不安感は、ジョナサン・キャロルやジョージ・R・R・マーティンの提供する逸品のそれに比肩する。



全10篇でも50ページほどの『夢十夜』は単行本での出版は少ない。イカす小説書きとしての初期の漱石を味わうには、これまた冒険的に筋のない小説に挑んだ遊戯文芸『草枕』との合本がベストであろう。『それから』等に進むのはそれからずっと先でいいし、もちろん一生進まなくてもいいのである。






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