「巣」ブルース・スターリング — ノヴェレットの魔術師#6


ブルース・スターリングという人は変な作家である。私の常なる個人的な用語法の好みに反して「作家」と書いたのは、スターリングがノンフィクションも書く人だからだ。彼は、たとえばギブスンの『クローム襲撃』への序文で自ら称してもいるように “浮かれ騒ぐ宮廷道化師” であることを怖れない。小説家としてなら、本当は怖れるべきなのに。スターリングの、たとえば『スキズマトリックス』たとえば『ネットの中の島々』が長編としても小説としても破綻しているのはそこのところが大きい。ぶっちゃけ、私と似たようなSF読みは、「こいつはホントに小説が書けないな!」と度ごとに憤慨してきた経験があるだろう。未来予測的な、あるいは調査報道的なノンフィクションを書くこととそれを世界/地獄巡り的なSF小説に落としこむことを、発酵を待ってきっちり分けてやってきていたら、ハズレの少ないSF小説家としてももう少し好まれ評価されていただろう。私がこのブログで度々、褒め方向でも貶し方向でもスターリングの名を引き合いに出すのには、そういう部分での含みがある。



スターリングの短篇・長編のどれかひとつふたつを読んで「スターリングはクソだ」というSF読みは少なからず、あるいはむしろ多めにいるかもしれないが、そうでないSF読みはたいていこの日本オリジナル短篇集『蝉の女王』を読んでいる。中でも巻頭を飾る「巣」は、なんならこの1篇を読むためだけにでもこの短篇集を買う意味があると言えるくらいの傑作であり、経験豊かなSF読みほど、古典から最新鋭までのSFが一貫して持っている「SFならでは」の価値を、この短篇及びスターリングという作者に見出す。事あるごとにぶーつく言いつつもスターリングを見限ることはしないSF読みがいるのには、大きくこの「巣」の存在が物を言っている。



「巣」をおなじみの機械主義者/工作者シリーズの1篇として読む必要はむしろない。コンタクト・テーマの傑作であるこの短篇には、私的にはストルガツキー作品くらいにしか並ぶものを見つけられない、高品位でプログレッシヴなコズミック・ホラーがある。「知性」や「知的生命体」「知的文明」の定義ですら、あくまでこの地球、この人類、この地球人類文明の観点から見たひとつの定義、ひとつの価値体系に過ぎないと嗤う超知性の登場シーンに、SF伝統のセンス・オヴ・ワンダーのゾクゾクする快感が凝縮されている。サイバーパンクが好きでも嫌いでも、ブルース・スターリングのSF作家としての存在価値はこの1篇を読むだけでも納得できるものになろう。



スターリングが、往々にして何とも言えない駄作SFを書く人であるのは、知的食いしん坊でありハイパーアクティヴな実践型知識人であるゆえだ。彼は次代の世界を感じさせるオモシロものに出逢うと、それを未整理なままにドラマツルギーも生きた登場人物もない小説と言えない小説にぶちこんでしまう。おそらくは私だけが抱くわけでもないそうした批判的観点を、スターリングはいつしか自分のものとし自分の創作アプローチに適用した。短篇集『タクラマカン』に含まれる数点の良作・傑作は、そういう進化の賜物だろう。現代批評カリカチュアでも黒社会ルポルタージュでもラルフ124C41+型未来予想図でもなく、何年経とうと普遍的価値で読ませる小説らしい小説を、ブルース・スターリングはちゃんと書いていたし、これからももっと書けるはずなのだ。





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