「ジャクリーン・エス」クライヴ・バーカー — ノヴェレットの魔術師#7


クライヴ・バーカーというホラー/ファンタジーの小説家を、不当に忘れられている小説家と言えるかどうかと自問するならば、個人的に私は、別にそう「不当に」でもないんじゃないかなと答えざるを得ない。正味な話、バーカーのホラー/ダーク・ファンタジー/ファンタジーの長編をいくつか読んだ私には、彼は圧倒的に短篇作家であり、長尺の、しかも拡張してゆくファンタジー・クロニクル神話世界無限マンダラ絵巻の構築になど乗り出さないでくれればよかったのに、と思えるからだ。



そうは言いつつ、ここで「ノヴェレットの魔術師」シリーズに採りあげ、ちょっとしたヤング・パーソンズ・ガイドみたいなことをやっておきたいと思ったのは、バーカーを、とりわけその初期の作風を、そして中でもデビュー作の短篇集『血の本』を紹介する際に、「スプラッター」の一語が使われすぎているのをもったいなく感じるゆえだ。



日本での集英社文庫の表紙絵の通俗おどろおどろグロテスク趣味が食わず嫌いを喚起しかねず、また実際少なからぬ収録作にスプラッタリングな描写が含まれてはいるものの、『血の本』の真価は、凡百のスプラッター・ホラーの陳腐なエンタテインメント性にはない。寛容な褒めたがりとしても夙に知られるスティーヴン・キングが「ホラーの未来を見た」と言うのもこの場合は伊達ではなく、『血の本』の幻想力のユニークさと幅広いヴァラエティ、そして読者をそこに惹きこむ語り手・語り口のヴァラエティにこそ向けられていよう。



キングの数ある名作・良作において、主人公もしくはヴュー・ポイント・キャラクターもしくは語り手は、多くの場合、平均的に凡庸だが平均的に善良な「普通のアメリカ人」であり、読者の感情移入もまたその価値基準にいつの間にか寄り添ってこそ生じるものだ。典型的なホラーにおいては、普通の人が普通でない者・物・状況に遭遇してこそ恐怖や葛藤やカタルシスが得られやすい ー そういう部分でキングは王道を行く手練れである。だが、『血の本』の語り手/主人公たちは多くが「普通の人」ではなく、はぐれ者や敗残者や犯罪者である。異常な物語が語られ始めるそのスタート地点から、われわれは普通ならざる主人公に付き合っていくことになる。



短篇「ジャクリーン・エス」において、初っ端から人生に絶望し自殺を考えているジャクリーン・エス夫人は、たまたま自身の持つ一種のテレキネシスに気付くことになるが、それを「有効活用」することもなくひたすら逃亡・潜伏・転落の物語を紡ぎ出していくのみである。われわれは胸躍る復讐も社会転覆も解放も観ることなく、それでもジャクリーンを憐憫の情とともに追ってゆくことができる。われわれの期待に応えて登場したかに見えたもう一人の主人公:弁護士ヴァッシーも、何ら英雄的な救済劇・解放劇をもたらすことなく、異様で哀しくも切実な愛に殉じて悲劇の終幕を演じてみせる。超自然と血みどろの衣装をまといつつ、異形の愛と犠牲の物語があくまでも美しく悲しく説得力を持って語られている。



「単なるスプラッター」程度だったら食指を動かさないその途の通なら、この「ジャクリーン・エス」と並べて口々に「丘に、町が」「父たちの皮膚」「髑髏王」あたりを見っけものとして挙げるだろう。私が個人的に強く思い入れを持つのは「魂の抜け殻」で、その奇体でインテレクチュアルなアイディアと斜め上からの語りの結構との合わせ技の妙に舌を巻いたものだ。もし『血の本』全体を採りあげることがあったら、その際にまたたっぷりと書こう。原著でも6分冊の大部であるこの短篇集『血の本』を、いまさらながらに律儀に第1巻から順に読んでいく必要は入門者にはなかろうが、本来プロローグ/エピローグを成す2篇が最終巻ラストの「血の本」1篇としてまとめられているということだけは、「オリジナル」の悦びにこだわる人のために注記しておこう。また、これでもまだ及び腰という人には、入手がより容易で多様な出逢いも提供してくれるはずの、ミシェル・スラングによるアンソロジー『レベッカ・ポールソンのお告げ 13の恐怖とエロスの物語』でのお試しもなんなら保険案に。


 


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