「狂気の山脈にて」H・P・ラヴクラフト ー 未知なるホラーを宇宙に求めて


所謂「クトゥルフ神話」とそれにまつわるポップ言説から原点であるハワード・フィリップス・ラヴクラフトの小説にあたる人は少なからずいるが、逆にそこからラヴクラフトを、おふざけお遊び受けがいいだけの、本気で読むまでもない小説家と最初から決めてかかってしまう読書子がいるとしたら、もったいない過ちと悲劇だろう。ゴシック・ホラーのユニークな名手としてもコズミック・ホラーの言い出しっぺとしても、それ自体で十分に読ませる作品群を持つラヴクラフトを、実のない珍妙なポップ・カルトの教祖のように勘違いして食わず嫌いすべきではない。



『ラヴクラフト全集 4』に収められた「狂気の山脈にて」は、長めの中篇、そしてラヴクラフトにあっては数少ない長編と言えるものだが、他の収録作6篇と大きく持ち味を異にするのはその長さだけではない。巻末の解説に詳しいが、ラヴクラウフトはその創作生活の後期/晩年、自身の謂う「科学主義」的アプローチに大きく舵を切って新たな創作欲に燃えており、そして実際「狂気の山脈にて」は、そのコズミック・ホラー流儀が見事に結実した好品となっている。



血筋・邪教・異境・狂気・蛮行を源とするような幻想と怪奇のテラーで鳴らす短篇小説家だった(そしてそこでも十分に名手だった)ラヴクラフトは、ここでは、自らが愛し踏襲し鍛錬を積んできたゴシックでグルーミーでクラシカルでなんならヨーロピアンな恐怖の形と描写にさよならを告げようとし、ほぼそれに成功している。「怪奇小説」「幻想小説」「恐怖小説」の浪漫的、主情的、グラン・ギニョール的な叙述法を排して、単純なテラーでなくホラーを、さらにはもっとモダンなホラーを、そしてでき得ればコズミックなホラーを、でき得れば万人に感じさせるに足るように... 多分にはぐれ者的な限られた層を相手にするものだったパルプ誌サブ・ジャンルを内側から超越せんとするエンスーゆえの内省的ヴィジョンが正常進化を生んでいる。



暗く、年古りた、人間生活の代々が積もった結果としての家や村や町を遠く離れて、砂漠に絶海にそして南極大陸にと、物語の「舞台」を求め移していったラヴクラフトの論理と嗅覚は正しい。孤独なはぐれ者や数寄者に神経症的な語りと絶叫を任せる替わりに、学術探検隊の科学者のログに語りを任せようという叙述メソッド上の大胆な方向転換は正しい。人類の人類によるあくまで人類にのみ属する価値観が絶対的他者を前にして一切意味を持たないものとなる宇宙的恐怖が、かつてない真っ白でまっさらな舞台を得て、禁欲的なまでに鈍角の感情上昇曲線しか見せない筆致でゆっくりじわじわ描かれてゆく。モダン・ホラーのスーパーマーケット・リアリズムまで、SFのコズミック・ホラーまで、もう1歩のところへラヴクラフトは独立独歩で踏み出している。



あくまでもひっそりといち個人の視界内で完結する「エーリッヒ・ツァンの音楽」のようなラヴクラフト作品も私は愛する。ゴシックな結構を以って秘密と破滅をおどろおどろしく描く「チャールズ・ウォードの奇怪な事件」のような作品も私は愛する。「インスマウスの影」「ダンウィッチの怪」「ダゴン」「クトゥルフの呼び声」... 未知の古代へのロマン、因縁の謎の探究、偶然に出くわす因習と怪異、海洋冒険小説の牧歌的ワクワク、等々と「怖い話」「不思議な話」を楽しむクラシカルにリラクシングな悦びをラヴクラフト作品は豊富に提供してくれる。ホラーとSFの両方を同じくらい愛しそのクラシックも最新鋭も愛せる私であれば、「狂気の山脈にて」をラヴクラフトの小説の最高到達点として賞賛できるわけではないのだが、この不遇で問題ありありな変人作家の小説家としての誠実な執念をもっとも感じられる作品として、もっとも愛おしく感じるのだ。





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