『スロー・リバー』ニコラ・グリフィス ― 再建しに、と彼女は言う

“SFは自己満足でこどもっぽいステレオタイプなキャラ造形とドラマにあふれている” というような批判に応えようと思ったら(確かにそうした批判は反駁し切れるものではないし、またある意味反駁する必要が必ずしもあるわけではないが)、私は自信をもってこの『スロー・リバー』を提示するだろう。ニコラ・グリフィスの『スロー・リバー』は、ポスト・サイバーパンク期の地味ながら丹念な佳作として、ラムダ賞を受賞したゲイ&レズビアン小説の傑作として、そしてそれより何よりもまず、ギブスン的世界を舞台にしたル・グィン的物語とでも言うべき、愛と成長と理解の物語として、看過すべきでない魅力と価値をそなえている。この日本デビュー作のトピック性・ブーム性のなさゆえに、翻訳続刊の途絶えているグリフィスを応援するためにも、ここにささやかなプロモーションを展開してみよう。



概して多国籍大企業とアウトローの物語であったサイバーパンクのとりもらした領域 ― 普通の、市井の、まっとうな人々と生活 ― をつけ加えることで、『スロー・リバー』はサイバーパンクをきっちり補完してみせたと言える。サイバーパンクが一部のSF読者から見れば、ダーク・ヒーローによるドンパチ・ピカレスクに見えたとすれば、この『スロー・リバー』は、より穏健で地味ではあるが大人っぽく洗練されたサヴァイヴァルとストラグルの物語としてその批判に応え得るものとなっている。作者のグリフィスが女性でありイギリス生まれであることは、アメリカ人男性作家によるサイバーパンク諸作とこの作品の手触りの違いを説明する無視できない大きな理由のひとつだろう。ただ、グリフィスが端々に見せる詩情は案外ギブスンのそれと共通するものも持っている。ヴェトナム時代に徴兵拒否者としてカナダに亡命したギブスンと、ドロップ・アウトしてロッカー人生を送っていたグリフィスには、日陰者のアウトサイダー独特の、哀しさと切なさと心細さを帯びたリリシズムが通奏低音にある。現代砂漠に生きるわれわれはいつのまにか、SFとして以上に現代小説として、かれらの小説世界に感情移入しているのだ。



『スロー・リバー』はSFであると同時にレズビアン小説でもある。作者のグリフィス自身がカミング・アウトしたレズビアンであるからなのだが、善良なるSF読者でも、いちいち眉をひそめる必要もなければ、覗趣味的好奇心をたくましくする必要もない。主人公ローアと準主人公のスパナーとマグヤー ― 彼女たちの愛と性とロマンスは男女間のそれと特に違わず、なおかつすぐれて現代小説的に、依存と搾取と対立と別れ、同情と共感と信頼と再生の、シリアスで哀しくも美しく、しかも心暖まる物語となっている。“SFが読みたいんだからそっち方面はお呼びじゃない、どっかヨソでやってくれ” という人が読んだとしても、すぐに魅きこまれ違和感を忘れるはずだ。ゲイ&レズビアン文学の年間最優秀作に与えられるラムダ賞獲得も当然のことだろう。ひとりよがりもゲットー意識もない、ヘテロが普通に読めて共感できるレズビアン小説 ― それはまさにゲイ&レズビアン文学が目指すべき越境性という価値をそなえているわけだから。



そして何にもましてまず、『スロー・リバー』の真価として挙げるべきは、現代SFとしてのシヴィアさとアクチュアリティを失うことなく、愛と信頼と理解と成長の物語たり得ている点だろう。ル・グィンやティプトリーやカードの、驚嘆と感動のグランド・ロマンはここにはない。にもかかわらずわれわれがここで覚えるヒューマンな共感と感動は同質のものなのだ。主人公ローアの、徹底的に日常的で卑近な奮闘とポジティヴィティは、われわれをグランド・ロマンの遠い世界に遊ばせることなく、真・善・美への挑戦を促す。それは多分いつだって、少しの理解、少しの同情、少しの忍耐、少しの言葉、少しのユーモア、少しの歩み寄りで充分なはずなのだ、と。



アウトロー・テクノロジストの電撃的でグルーミーなピカレスク。フリークにしてエリートな天才少年の波瀾万丈の生涯。はるか彼方の未知なる知性体を求めて距離も時間も己の存在形態をも超えてゆく未来の人類の姿。etc、etc... そんな中にあって、この『スロー・リバー』のような、極々近々近未来の卑近なまでにリアリスティックなSFをいったい誰が求めるのだろうか?いやいや、誰もが実は求めているのだ ― 読者も批評家もSF作家たち自身も、SF者の魂のどこか一部で、SFというジャンル自体のさらなる発展と成熟を願って。そうしてSFの平均株価は時代を経るごとに着実に上がっていくのである。ネビュラ賞受賞もダテじゃないのだ。






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