『タイベレと彼女の悪魔』アイザック・B・シンガー — わたしは嗅覚をたのみとする

何だろう、この不思議な感動、不思議な充足感は!? このアイザック・B・シンガーという耳慣れない名前の作家の短篇集をゆっくりじっくり読み進めていく時、あなたも必ずやそう感じることだろう。



この日本でアイザック・バシェヴィス・シンガーの名を知る者は、よほどの主流文学好きでもなければ、SF/ホラー読み以外にはそういないだろう。シンガーの「敵」という短篇はいくつかのホラー・アンソロジーに収録されており、わたしがこの短篇集を手にとったきっかけもそれだけのものだった。が!冒頭の一篇「タイベレと彼女の悪魔」を読んで思わぬみっけもんに狂喜、とっつき悪そうなタイトルやページ数の諸篇も読み始めればあっという間にごくごくすんなり魅きこまれ、結局全篇ハズレなし、敷居の高さに居ずまいを正すようなしかつめらしい態度も一切不要、ただ " 良質の短篇 " としか言いようのない短篇群をすんなりと楽しめたのだった。



チェスタトンの諸作品がどの程度そのカトリシズムに因るものであるか浅学なわたしには判らないが、シンガーの作品には誰もが易々とユダヤ性を感じとれることだろう。ユダヤ教、ユダヤ人性、ユダヤの歴史、ユダヤ文化... われわれフツーの日本人が接触することさえほとんどない、エキゾティックこのうえないそれらがシンガーの作品には濃密にたちこめている。中世然とした東欧のユダヤ社会から現代のニューヨークまで、この短篇集で舞台となるのは様々な国と時代だが、そこに描かれるのは一貫してユダヤ的な日常生活と社会である。われわれ日本人には同情も反感も持ちようのないほど馴染みのないそれらの情景を、新奇と好奇の念だけで面白く読み進めていく内にじんわりと感じ入らされていくのは、「宗教心」や「信仰」というものへのわれわれのイメージとはそぐわない/そうした言葉では包括し得ない深く複雑なユダヤ的感覚だ。差別の歴史、ナチスによるジェノサイド、世界的陰謀にまつわるアレコレ — センセーショナルだったりヒューマニスティックだったり、要するに "絵になりやすい" ユダヤ的アレコレはここにはない。丹念で細心な、地味でさえあるような名手の筆致に穏やかに説得されるようにわれわれが呑みこんでゆくのは、哀しいまでに受動的で、かたくななまでに頑固で、栄光を求める必要すらないほど誇り高いユダヤ人の姿、もしくはユダヤ人の理想である。



だがシンガーの短篇群は、けっして読む者を親ユダヤ者に、ましてやユダヤ教徒にすべく説得を試みているわけではもちろんない。われわれはむしろその短篇群の中の若者たちと同じように、頑固で旧弊な主人公たちにはがゆさや苛立ちを感じながら読み進めることにもなる。その苛立ちはおそらくわれわれがわれわれ自身の父母・祖父母層に感じるものであり、それが読み終わるころには理解や同情や尊重や敬慕に変わってゆくのだ。この点にこそシンガーの力量の真価がある。ユダヤ社会/文化というごく狭い世界を描いていながらも、その旧き美徳への擁護と哀惜の念は、国境や文化や宗教を超えて、わたしやあなたのような現代日本人にさえもじんわりすんなり無理なく伝わるユニヴァーサルな価値を持ち得ているのだ。



さて、妙にマジメくさって論じてはみたものの、このままではそのリーダビリティの高さが伝わらないのではと一抹の不安が残る。書き出しにSF/ホラー読み云々を引いたのはダテじゃない。どの短篇もジャンル読者が、いやジャンル読者こそが、あたりまえに楽しめる "短篇" の楽しさに満ちているのだ。最後に駆け足で数篇に触れておこう。



「タイベレと彼女の悪魔」はまさにアルバム1曲め。シンガー短篇の魅力をコンパクトにしかし十分に伝える良品だ。エキゾチックなのにどこか懐かしい、もの哀しい昔話世界を背景としつつも、そのテーマはモダンでアクチュアルだ。艶笑譚を想わせるおかしくも哀しいストーリーが急転直下、美しく崇高に結ばれるその様に、マンガ読みなら清水玲子を彷彿とさせられることだろう。

「最後の悪魔」苦々しい皮肉に満ちたこの短篇も、ホラー読みにかかれば楽しく目新しい一級の資料だ。ユダヤ教のラビをヒーローにしたホラーを読んで/観てみたくなる。

「ブラウンズヴィルでの結婚式」は短篇技巧の冴えだけでも読む価値のある傑作だ。ユダヤ的日常のエキゾティシズムに楽しく目眩まされてる内にコルタサル的トリックにひっかけられるこの快感!

「わたしは人をたのみとしない」の寓話的とも言えるパワーこそ、ノーベル文学賞作家シンガーの真骨頂だろう。誰もが知るよな宗教寓話の普遍的力強さを現代的アクチュアリティを失うことなく獲得するのは相当厳しいタスクだが、平易で短いこうした短篇でシンガーはそれを易々とやってのけるのだ。

「アメリカから来た息子」や「祖父と孫」で、われわれは頑迷な父や祖父に出会う。最終的にわれわれはそのタフでプログレッシヴな信念に驚くべき感動を味わわされるが、それはけっしてユダヤ教の特殊性によるものではない。シンガーの小説の価値はその宗教性にあるのではなく、人間と信仰のあり方に対する深く幅広い視点にあるのだ。

「サム・パルカとダヴィド・ヴィシュコヴェル」以後の3篇で、われわれはいずれ劣らぬ魅力的なキャラクターたちに出会う。会話主体で軽快でリーダビリティの高い、20世紀が舞台のこの3篇は読み始めのとっかかりに最適だろう。賑やかな会話文をすんなり楽しんでいる内にシンガー魔術がきっちり効いてくれる。

「天国への蓄え」のラビ:レブ・ブネムの、深く自在にして快活な叡智のあり方にこそ、シンガーの思い描くユダヤの美徳がポップにパワフルに表れている。そんな意味でも巻末を飾るのにふさわしい逸品だろう。『エクソシスト』のエンスーなファンは感慨深い連想をとりわけ感じるはずだ。



  


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