『ヴァリス』フィリップ・K・ディック ― ひかえよわが自己愛、と宗教狂いは言った

実を言えば私はけっしてディックの良きファンではない。最初に読んだディック作品は『テレポートされざる者』か『タイタンのゲーム・プレーヤー』あたりで、“いったいコイツはSFが、いやそもそも小説が書けるのか?” と思ったものだった。ところが『高い城の男』『暗闇のスキャナー』あたりを読むにつれ、それがどこまでSFとしての価値を持つかにかかわらず、読ませ泣かせる作家であることを思い知らされるようになった。



今でも私はカルトなディック・ファンではないし、昔読み捨てた駄作の数々を新たな眼で読み返してみようなどとも考えないし、玉石混淆の多数のディック作品を「当たり」を求めてしらみつぶしに読むほど高く評価なんかしていない。にもかかわらず、ディックを、私の場合『城』『スキャナー』『警官』あたりを、折りにふれ読んでしまうのは、それら苦悩と探求と哀悼の物語が、それだけで十分読むに足る訴求力を持っているからだ。その中でもこの『ヴァリス』は、読みやすさ、入りやすさ、お気に入りシーンの多さ、披露される知識・意見・考察の興味深さ等々のゆえにダントツの再読回数を誇る。



私の頭の中で常に流れるそのBGMは、アメリカの「ヴェンチュラ・ハイウェイ」だ。ヒップでラヴ&ピースなフラワー・ムーヴメントが、甘えんぼで自堕落な怠け者たちの情けない内面がむきだしになるにつれ内破し自壊していったその後も、カリフォルニアの青い空と乾いた風は人の気も知らぬげに爽やかであり続けただろう。失意と自責と諦観がないまぜになってどこか泣いた後のすがすがしささえ感じさせる点で、あの曲とこの『ヴァリス』の語り口がカブるのだ。



現代日本でならたとえば『エヴァ』ファンにも訴えそうな、グノーシス思想がこの作品のメイン・アイディア/スペキュレーションの対象になっているが、もちろんディックにあざやかで手際のよいカタルシスたっぷりのエンディングなど期待してもムダだ。だが物語はまがりなりにも一種のハッピー・エンドを迎えるし、探求行で味わえる知的スリルは申し分ないし、何より主人公ホースラヴァー・ファットに最後までつきあった読者は、彼やその友人たちへの感情移入だけで十分に報われているはずだ。



これまたわざわざ検証する気もないが、ここでのディックの叙述スタイルは、他のどの作品とも似ず、大胆にして必殺の、混乱した無手勝流にして効果的な、キャリア中ベストのそれだと言える。SF読者のみならず、すべての小説読みが読んでおいて損のない、驚くべきかつ自然な小説の書き方がここにはある。いつもの苦悩と混乱と哀惜に加えて、笑いと郷愁をも含んだ一種の青春小説としてさえ読めるこの作品は、もっとも似合わぬ形容辞ながら、ディック晩年の円熟の一作と言っていい。実際私がその実例だが、この作品を楽しむのにディック教の信者である必要はないのである。


 


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