“バベルの図書館” 第30巻『逃げてゆく鏡』ジョヴァンニ・パピーニ、ホルヘ・ルイス・ボルヘス ― どうせ読むならバベルにせいっ!その30


人文科学の全てを言わば巨大な幻想文学体系とみなすボルヘスにとっては、文学なんてものはむしろ「芸」の最たるものであったろうし、芸であればこそ無邪気に無頓着に楽しめるものとして愛せる、愛すべきものであったろう。『聊斎志異』や『千夜一夜物語』のような物語集をたとえばサキのような「現代」の作家の短篇集と等価に並べるようなところに、そういうボルヘスの視点は如実に表れていると言える。



叢書 "バベルの図書館" の最終巻に選ばれたパピーニの『逃げてゆく鏡』の諸短篇には、そういう意味からは異色と言える重苦しい現代と実存主義の香りがある。どの短篇もとりあえずは幻想短篇の結構を具えてはいるが残す後味はほぼ例外なく苦みで、私には何にもましてカミュの『転落』を想起させる。『転落』に40年ほども先立つ現代型の不信と懐疑と自壊の物語群は、「普段のボルヘス」が楽しむような文芸とはほど遠いように感じられる。その苦みとやぶれかぶれのひっくり返しの激しさは、むしろパンク/NWの暗い情念派のそれにも似て、焦燥感とカタルシスの美として現代のわれわれには不思議なくらいに親しみやすく迫ってくる。



僅かに8歳だけ年上の同時代人パピーニに、文芸上の師とも仰ぐ先人ルゴーネスの人生の鏡像を見てか、ボルヘスはこのイタリアの文人の若書きとも言える蒼く疾走する短篇群をむしろ愛おしむように採取したのかもしれない。驚くほど奔放に呪詛を撒き散らすその実存的ホラーは、後にカトリシズムとファシズムに傾いてゆく「現実」の住人パピーニの生に比べれば、なるほど確かにフィクショナルな、ずっと気軽に楽しめるものにはちがいない。



おそらくはそこまでの青写真を以てこの "バベルの図書館" の編纂を終えたボルヘスでもなかろうが、現代と現代感がこの『逃げてゆく鏡』ほどにわれわれの実際に近づいてくれば、もはやわれわれは「文芸を楽しむ」などと言っていられるか怪しくなる。生国アルゼンチンの独裁政権にも屈することのなかったボルヘスの見えづらい苦言もしくは祈りが、この最終巻の人選にさりげなく表れている... なんてのはたぶん私の勘繰りすぎだろう(とか言いつつ、このシリーズは以降も続けるつもりなのだが)。



 


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