『特別料理』スタンリイ・エリン — 小悪の顕微鏡写真


早川書房の『異色作家短篇集』シリーズのおかげもあって「奇妙な味」「異色作家」の冠とともにその独特な才を賞讃されるスタンリイ・エリンは、プロパーなミステリ読者以上にむしろSF、ホラー、ミステリ、ダーク・ファンタジーの、殊に短篇を好む読者にこそおすすめしたい唯一無比の小説家だ。『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』でのデビュー作「特別料理」が1946年の作だからといって、読まなくてもいいなんてことはけっしてない。傑作短篇中の傑作短篇は時の流れにも色褪せることはなく、また傑作短篇特有の価値とエッジはジャンル読者の嗜好の少しのちがいなど軽々と超えて響くものだから。ここでの私は特に、SF好き、ホラー好き、ダーク・ファンタジー好きとして、またミステリの傍流好きとジャンル問わずの「短篇好き」として、非ミステリ読者の同好の士に向けて、この『特別料理』を推しておこう。



たとえばサキ、ジョン・コリア、ロアルド・ダールと並んで名前が挙げられていたとしたら、ある種のSF/ホラー/ダーク・ファンタジー読者であれば、モダン/アクチュアル志向から「ああ、あの辺のクラシカルな」との上限予想で食わず嫌いを決めこむかもしれない。そんな人に私は、ジョナサン・キャロル、ジョージ・R・R・マーティン、シオドア・スタージョンの名を挙げて説得を試みるだろう — アレ級の心震わす絶品を見逃すかもしれないぞ、と。実際、私がけっして嫌いではないサキ、コリア、ダール以上のものをエリンに見出だすとすれば、技巧の冴えや発想力にではむしろなく、豊かに巧緻に蠱惑的な文章力の細部とその土台となるアクチュアルでシヴィアな人間/現代認識にである。



「特別料理」は方々のアンソロジーにも収録される古典的傑作だが、そのタイトルで知れるネタが割れようとまったくもって問題のない絶妙な味わいで何十年もの再読に堪える。だが、たとえばローレンス・ブロックの同趣向の短篇「食いついた魚」や「おかしなことを聞くね」などと比べて、この短篇が時を超えて不朽の傑作であり続けるのはなぜだろう。われわれがこの「その途ではおなじみ」と言っていいテーマの短篇に格別の魅力を感じるのは、ラフラーとコステインという2人の主人公への酷薄なまでにシヴィアな作者の視点が哀しくも恐ろしい罠を成立させる土台となっているからなのだ。

言及されるのをそれほど見かけないのが不思議な「お先棒かつぎ」もまた、私には珠玉の傑作だ。拍子抜けするほどあっさりしたものであるその「計略」は、それゆえにこそ完全犯罪を可能にする。「雇い主」の恐ろしさは現代社会と人間心理とシステムの恐ろしさであり、主人公クラブトリーもわれわれ読者もエリン自身でも、ひとたび目を付けられたらひとたまりもなかろう。その点でジョーゼフ・ヘラーやR・A・ラファティの幾篇かをも想い起こさせる。

「アプルビー氏の乱れなき世界」では、皮肉でニヤリとさせられるオチのおかげで読者はむしろ奇妙な安堵感まで覚えるが、夫婦ともにゾッとさせられる人格の持ち主であり、現代日本のニュースを観ていれば他人事で済ませていられない、安全ならざる世界のスケッチとなっている。

巻末の「決断の時」は、畏るべき冷徹観測者エリンの、シリアスな訴えがこめられた実はなけなしのヒューマンな作品とも思え、スリリングに恐ろしくも美しい集の掉尾ともなっている。引退した奇術師レイモンドは洞察と狡智に長けた作者エリンの分身とも取れ、挑戦を受けるもう一人の主人公ヒューはわれわれ読者、あるいは世界大戦後に生きる人類すべての映し身でもあろう。なぜか私はその対決の図式にトレヴェニアンの『シブミ』の後半のそれをも連想させられる。



もちろん小説好きなら、そんなあれやこれやの現代ウンヌン性を問わずとも文句なしに楽しめる短篇の魅力の粋がエリンの作品にはあるのであり、ここでは採りあげなかった諸篇もまた、緊密な美文に引きこまれ引きずり回される愉悦に満ちている。私のタスクであったのは、読むべきエヴァーグリーン古典のリスト内にこの『特別料理』を入れ、以てひとつのルアリングとすることであった。


 


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