『きみの血を』シオドア・スタージョン ー ジャンル/フォーマットを操る白魔術師


‘00年代末から主に河出書房新社発信で始まった日本におけるスタージョン再評価の波は、「SF読者」の枠を超えて小説読みの広くから新たなスタージョン読者を獲得した。その流れが産んだ再版・再編刊・新刊の中でも、その道の古株であるはずのハヤカワが文庫NVから出したこの『きみの血を』ほど「旧来」の読者を喜ばせるものはそう多くない。200ページ強の長めの中篇と言えるこの作品は、スタージョンの小説書きとしてのマジックが目一杯活かされた傑作なのだ。



私のような旧来読者は、クラシックなスタージョンSF傑作『人間以上』で疾うから、その驚くべき内容と叙述スタイルの必然性ある掛け合わせの妙技を知っている。それは、どうってことない内容を斬新なだけで必然性はないスタイルで語るものでもなければ、ものすごい内容を「1から10」式の稚拙なスタイルで語るものでもない。少なからぬ初心者小説読みを面食らわせお手上げ逃亡に追いこむという、あのローンの登場シーンからも明白だろう。そして「そうでしか描きようがない」と読み終えた後にこそ改めて実感させられるあの三部構成の妙。SF作家として以前・以上に小説家として巧者であるのが、その作品が古びない理由となっている。



と、そんなことはまたいずれ『人間以上』のレヴュー時に書くことにして先を急ごう。旧来でも新来でも、この『きみの血を』を読んでみようかなと思って背中押しを求め探す人は、多くのレヴュワーが謎かけのような文面でネタバレを避け、なおかつそのほとんどが絶賛しているのを奇異に思うかもしれない。だがそれはもっともな理由があってのことなのだ。それはミステリなのか?そうとも言えるしそうでないとも言える。それはヴァンパイアものなのか?そうとも言えるしそうでないとも言える。それはホラーなのか?超自然のホラーではないにせよ、ある種のホラー、あるいはスリラーではあると言える。いずれにせよそれは、スタージョンだからこそ書ける、そして時代に先駆けスタージョンくらいしか書こうとしないような、哲学的・社会的なソウルフル・スリラーでありヒューマン・ドラマ・ミステリである。「この話」を書くためにはそのような結構がどうしても必要であり、それゆえにこそスタージョンは、各種のドキュメントの雑多な寄せ集めというていのその叙述スタイルを採っている。最後まで読んだ者だけがその不思議な慟哭と同情と哀感を、涙と憤りに彩られた愛と希求を共有することになる。それは「輝く断片」や『人間以上』の読後感にもよく似て、知のリソース欠乏や社会的分断状況がいかに人間社会に非人道をもたらすかを地味にも執念く解き明かし、何十年経とうがSF界がけっして手放してはならない根本的タスクを、リアル現実世界を舞台にしつつ改めて思い知らせてくれる。



「シナジー」は、スタージョンが手を替え品を替えテーマとして採りあげ続けた、平和や幸福や調和に繋がる原理だが、むしろそれが為され得なかった状況ゆえの悲劇を描く時、彼の筆致は冴えに冴える。この作品でわれわれは精神科医アウターブリッジにその摂理の一端の表れを見ることができるが、それは「事後」のせめてもの慰めとして機能するに過ぎない。兵士ジョージ・スミスの数奇な悲劇はあらゆる領域にあらゆるヴァリエーションで遍在し得るものである。おそろしくシヴィアにしておそろしく熱いヒューマニスト作家:スタージョンであればこそ、50年余を経てもわれわれの心を激しく揺さぶることができるのだ。





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