『老いたる霊長類の星への賛歌』ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア ー エヴァーモダーン、エヴァーシャープ


「真にモダンなSF」といえばどこ/誰辺りをスタートとするか、というのは時代が降るにつれ、また読む人によりいくらでも意見の分かれるところだろうが、私にとっては、ジョン・ヴァーリイとジェイムズ・ティプトリー・Jr.が決定的なマイルストーン、となる。もちろんその栄養分や先駆には、たとえばシオドア・スタージョンたとえばアーシュラ・K・ル・グィンたとえばロバート・A・ハインラインなどのビッグ・ネームがあるとしても、駆け出しの第一短篇集時からいきなりフル・スロットルでクールさを極めて非の打ちどころのないモダンさを軽々と提示しているという面で、この2人に比すべきSF作家はそうそういないだろう。



何を以って「モダン」と、あるいは「真にモダン」とするかもそれぞれのSF読みによって異なるだろうが、私にとっては「テクノロジー観、科学観、人類観、社会観やその表現方法が『後世』にとっては笑っちゃうような幼稚でオプティミスティックなものになってないか」が重要な点だ。どれかひとつの傑作を読んだのをきっかけに「よし、このSF作家を読み尽くしていくぞ」と意気込んだ際、たとえば『月は無慈悲な夜の女王』に、たとえば『ロカノンの世界』に行き当たったら、「現代」のSF読みはいささかならず鼻白むだろう ー 実際に私が経験したことだが。



私が最初に手に取ったティプトリー作品は、たまたま第3短篇集(原著順で)の『老いたる霊長類の星への賛歌』だった。その後を想っても幸運な巡り合わせだったと思う。そこには真っ向勝負の純正ティプトリー短篇が2つ3つ、あるいは4つも入っているのだから。



ティプトリー読者にはおなじみのことだが、その広範に亘る短篇群にはSF界流おふざけや散文詩/サイコミスに留まるものも少なからずあり、それはティプトリーという作家を既に知っていてこそ「許せる」範囲のものであって、最初にたまたまそうした短篇ばかりを真面目に勢い込んで2、3篇読んでしまうような不幸に見舞われたSF読みがもしいたら、その人は怒りや落胆からティプトリーに背を向け以降スルーを決め込むことだろう ー ああまた、何やら知らんが「通」だけに通じるらしき、気取ったよう分からんあの作家か、と。そうした出逢い損ない、不運なファースト・コンタクトは、この『老いたる霊長類の星への賛歌』が最初なら起こり得ない。ある意味「微妙」な箸休め、お戯れ、実験作をハズレと捨てたとしても、ガチガチにガチなティプトリー印の正攻法の力作がただならぬ印象を残すはずだから。



「汝が半数染色体の心」はまさにアルバム1曲目。ティプトリーのSF作家としてのメイン・タスクとストーリー・テリングの基本水準がスムーズにかつ高インパクトに伝わってくる、入門編としても最適の傑作だ。ティプトリーを評す際によく謂われる「ジェンダー・テーマ」の短篇であるのはもちろんだが、単純な異議申し立て型フェミニズムに流れるものではさらさらなく、SF伝統のしれっとした逆照射メソッドでヒューマニティや文明や倫理の定義を読者に問い直させてくる鮮やかにしてヘヴィーな快作。シダ植物のライフ・サイクル云々が...とあまり触れるとネタバレになるが、珍しいが既知のソート・プロヴォーキングな科学的知見、殊に生物学的事象から、ハッとさせゾッとさせゾクゾクッとさせるようなヴィジョンを生み出すティプトリーの真骨頂の1極が如実に表れている。ちなみに程度の余談だが、漫画家:清水玲子の諸傑作にはよく似たアプローチが多く見られる、とある種の同好ビギナーに向けてのルアリングも放っておこう。



...と、ウィリアム・ギブスンを採りあげた際と同じ嫌な(?)予感がしていたのだが、思い入れゆえの欠くべからざる長文リードで紙面を食い過ぎたようだ。正攻法作を除いても語るべき各篇がまだまだ残っているので、続きは次回、としよう。





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