『九百人のお祖母さん』R・A・ラファティ ー ソート・プロヴォーキングな一流SFホラ話


R・A・ラファティの短篇は、得てして「ホラ話」という言葉で語られがちで、判っている人が判った上で褒め言葉として言う分には問題ないのだが、反面それゆえ、「シリアスなSF」を好むSF読者には読むまでもない「別物」「脇道」と思われてしまいかねないきらいがある。この『九百人のお祖母さん』だって、そのコミック風味の表紙絵から、ユーモアSFだとかライト・ファンタジーだとかの読みやすくて歯ごたえに欠ける軽い短篇群が詰まっている集と思って食わず嫌いのままスルーしている潜在読者がいるのではなかろうか。このエントリでは、そういったもったいない取りこぼされ状況を少しでも上方修正する援護射撃となるよう、ラファティ短篇の持つ「SFらしさ」という側面から、私的なお気に入り幾篇かを意図的に収録順無視で採りあげつつ語ってみよう。



’60年代の所謂「ニュー・ウェイヴ」期のSF界でよく遣われた「スペキュレイティヴ・フィクション」という語は、サイエンスだけが、さらにはハード・サイエンスや機械工学だけが「SF」の扱う領域ではないはずだという、その後はあたりまえになる思潮から出てきたスローガン語だが、ラファティの扱うネタの多くはまさに、ハード・サイエンスや機械工学や未来予測やとかけ離れた領域からのものであり、大きくは過去からの謎を扱う諸学問 ー 人類学・神話学・民族学・歴史学・言語学から材を採っている。したがって、(本来ならあり得ないはずの)「SFしか読まないし読めないし読んでないSFバカ」から読まれた場合には、「何のこっちゃら分からないしょうもない変な話」で済まされてしまう可能性がある。それは、ラファティに非があるのではなくその読む者のほうに非があるケースだ。その典型的で分かりやすい好例となるのは「日の当たるジニー」。人類のネオテニー発生説を齧り読み程度にでも知っている者になら、この短篇は非常にスリリングな、一種のコズミック・ホラーとして楽しめるものだ。スラップスティックなアメリカン日常世界コメディのていを取りつつ、次なる新人類のネオテニー発生が起こらんとする1シーンを描いたこの短篇は、ウィリアム・ギブスンやブルース・スターリングならガチガチにシリアスでクールな技術用語満載の100ページほどのサイバーパンクSFで描くところだろう。それを説明抜きの寓話的スタイルでぶっ飛ばす躁状態のナンセンス劇の一幕でやってのけるところに、ラファティの唯一無比のSF作法があるのである。たまたま私と好みを同じくする同志に向けてなら、ストルガツキー兄弟の『波が風を消す』のおふざけダイジェスト版としての売り込みをもかけておきたい。




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