『アルーア』リチャード・コールダー ― アンドロイドは電気ウナギの肝を吸うか


三十余年を経てSF的衝撃度がいくらか割り引かれたとしても、ウィリアム・ギブスンの<スプロール>シリーズの小説としての魅力は色あせはしない。その最大の魅力は、登場人物たちの内的独白をつづるエモーショナルでセンチメンタルな通奏低音がもたらす感情移入誘発力だ。『クローム襲撃』『ニューロマンサー』『カウント・ゼロ』『モナリザ・オーヴァドライヴ』― 合わせれば10人も20人も、哀しく愛しいキャラクターを想い出すことができるはずだ。



一時はポスト・サイバーパンク最大の収穫と謳われながらあっという間に消え去り、時代の徒花であったかのように今では全く顧みられることのないリチャード・コールダー。確かに、『デッド・ガールズ』に始まる長篇群は、焦点のぼやけた、冗長さの目立つ、良作とは言い難いものだったかもしれない。が、この『アルーア』に収められた初期短篇4作では、ギブスンに匹敵する凝縮度の、濃密な暗い情念が迫力のリーダビリティを生む、耽美でスタイリッシュな異端のナノテクSFを披露している。ウルフやスタージョンのようなスタイリストの手腕が改めて注目されている昨今、その蠱惑的な魅力に少しは光が当たっていいはずの、見事な文体とSF作法を持つ作家なのである。



ピグマリオン幻想、リリム幻想、フェティシズム、トランス・セクシュアリティ、セクシュアル・パワー・ポリティクス... 下手をするとコールダーの関心はその辺りにしかなく、SFを便利で手近な道具として使っているだけなのかもしれない。だがそのテクノロジ/未来世界の描写は、ギブスン直系の、サイバーパンク界でも最上級の、エレガントに洗練された流麗でナチュラルなものだ。宇宙活劇ハードウェアハードSFとは対極のカッコよさ、楽しさ、美しさがそこにはある。主人公の一人称語りにこめられたモティヴェイションとオブセッションの強力さに引きずられグルーミーでブルーズィーな物語を無理なく追っていくうちに、未来世界とそのテクノロジ、そしてその人間性への影響と浸食をまざまざとアクチュアルに感じさせられる ― それはまさにギブスン印のSF作法であり、サイバーパンクが当時のSFに突きつけた基調レジュメとも言えるものだ。かたちは違えどギブスンとコールダーが共にある種の追放者/亡命者/脱出者であることも、その類似性の理由の一端であろう。



現代思想的なアレコレは巻末の巽孝之氏の解説に譲り、ここでは駆け足で各篇を紹介しておこう。

「トクシーヌ」は ’89年のデビュー作。現代(といってももう過去の20世紀末だが)を舞台にした、オートマトン3部作の第1作だ。各種文学で馴染みの深いイギリス日常世界を舞台に、時代遅れの天才自動人形師の探求と挫折が語られる。あくまで工学/医療工学の枷の範囲内での現代の(バロックでビザールながら)リアルな物語でそのシリーズを始めるところに、コールダーの見事な戦略性が感じられる。究極のセックス産業製品ナノテク・ドールを中心とするコールダーの未来世界が、われわれ現代日本人男性にも他人事ではない幼稚で身勝手なセックス幻想からスタートすることを予告する、律儀で完璧なイントロだ。SF的道具立てはむしろ皆無に近いため、シュナイダー『眠りの兄弟』、アンダーシ『解剖学者』、ジュースキント『香水』、ナボコフ『ディフェンス』などの愛読者にもおすすめしたいソレ系の逸品にもなっている。

続く「モスキート」でわれわれは2030年代に一気に飛ばされるが、そこで描かれるアジアとヨーロッパ、男と女とドールとクイアなど、ナノテク以外の道具立てはやはり現代とリアルを強く意識したものである。ギブスンと同様にコールダーも、現代記号学の徒としてSFフォーマットを使用している側面が強い。ただ、コールダーのコアはリビドー/ジェンダー/セクシュアリティに特化しており、ティプトリーとは全く異なるそのアプローチはSF界でも希少で貴重なものと言えるだろう。

リリス/リリム伝承はホラー/SFのお気に入りテーマだが、この「リリム」ほどアナロジカルな必然性と洒落っ気がドンピシャにはまった例は少ないだろう。人間とアンドロイド、生物と無生物、意識とプログラム ― イーガンに代表される現代最先端SFでも変わらず重要なこの大テーマを、コールダーは比類のない独自の視点から料理する。ホラーやオカルト神学にも通じる幅広いインター・テクスチュアリティを備え、あくまで耽美的でロマンティックなゴシック小説風ストーリー運びながら、ギュウ詰めにきらびやかにサイバーパンクのモダンな香り。続くシリーズ長篇群によってではなく、この「リリム」級の短篇群によってコールダー世界が紡ぎ続けられていたら、ヴァーリイやギブスンのシリーズ世界に劣らぬクロニクルができあがっていたことだろう。

オートマトン・シリーズを離れた短篇「アルーア」でも、コールダーの自らのオブセッションへの忠誠は変わらない。「スキン2」というガジェットの奥深い含意は、二次元コンプレックスや服飾フェティシズムの総本山であるこの日本に住むわれわれにはひときわアクチュアルに迫るものがある。男たちの幻想による女性性をナノテクが具現化し、その女性性もまた男たちの予定調和的な思惑を裏切る ― ひたすらそれだけのコンセプトをモティーフにサイバーパンクを換骨奪胎したコールダーSFは、ジェンダー/フェミニズムSF方面でも再評価されていいはずだ。モード界を舞台にしたその躁状態の語り口は、エリスンやティプトリーの名短篇をも想い起こさせる。



長篇第2作『デッド・ボーイズ』を最後に翻訳刊行は途絶えたままだが、コールダーがSF作家をやめたわけではない。“デッド3部作” の後にも、ティプトリー賞を短篇で受賞する他、多数の長篇を順調に発表してもいる。ただその作風は、より奇怪でオカルティックな異世界ファンタジー方向にシフトしたらしく、日本出版界は邦訳の必要なしと判断したのかもしれない。いずれにせよ私は気にしない。苦痛のうちに2作の長篇を読了した私には、リチャード・コールダーは圧倒的に短篇作家なのだ。ギブスンの『クローム襲撃』と並んでこの短篇集は、今でも私にとっては折りにふれ無性に読みたくなる愛しい珠玉の集である。その魅力のコアはSF性にあるというよりはむしろ、ホームを追われ/離れたアウトローで孤独なアルチザンの、ダークでハード・ボイルドながら実はセンティメンタルな心情吐露にあるのかもしれない。









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