『私書箱9号』ジャック・オコネル ― ミステリ畑でつかまって


マジック・リアリズムと現代的ノワールを合体させると、それはほぼサイバーパンクに等しい。したがってジャック・オコネルの名は、ミステリ畑のそれよりむしろ、ウィリアム・ギブスンやK・W・ジーターの名前と並べ置くにふさわしい。そこにはミステリ畑ではもてあまされるほどの、バロックでビザールでシュールな、それでいて実はわれわれのこの現実に近い、幻視者だけが描き出せる鏡像がある。



ハードボイルド探偵モノと現代青春モノを合体させると、それはほぼニール・ケアリー・シリーズや泥棒バーニー・シリーズのくつろぎに等しい。したがってジャック・オコネルの名は、エルモア・レナードやジェイムズ・エルロイの近くではなく、ドン・ウィンズロウやジョナサン・レセムと並べ置くにふさわしい。そこに殺人や暴力が見出されるとしても、快調なテンポと語り口の妙が、地獄巡り的な暗黒の後味の悪さではなく同時代的シンパシーを提供してくれる。



それよりも何よりも、驚くべきことにわれわれは、ここにひとりのボルヘスの弟子を見出す。論理的でも無能でも怠惰でもない現代作家にしてみれば、ミステリという格好の結構をもって長大な作品を物するのもボルヘス信奉者として妥当かつ冴えたやりかたと言える。少なくとも3人以上の主要な愛するに足る登場人物が死ぬのにもかかわらず、そこには何の重苦しさも認められない。その死はたとえば「死とコンパス」の刑事レンロットの死にも似て、物語遊戯のひとコマとして必要であるに過ぎず、われわれに何らのヒューマンな、あるいは現代的な感慨を抱くことも押しつけはしない。架空の町クインシガモンドと奇妙な登場人物たちとその人間関係が楽しい迷宮を造りあげ、陰惨であっても不思議でないはずのストーリー迷路でわれわれはニヤつきを忘れることなく存分に惑い遊ぶことができる。実際にオコネルは敬愛する作家のひとりとしてボルヘスの名を挙げているが、そうでなくとも人物設定やシーンや固有名詞の数々に、捧げられたオマージュがはっきり見てとれるだろう。



いまや主流文学とSFとファンタジーは互いに越境しあい、そのスリップストリームにこそ傑作が多いというのはお馴染みの現象になっている。しかしこの『私書箱9号』のように、ミステリ畑でのなまじ高い評価ゆえに、ジャンル外読者への越境的アピールが不当に不充分なものも見受けられるのだ。もし私の挙げたたとえがウソでないのなら、オコネルのこの作品には、ギブスン、ジーター、ウィンズロウ、レセム、ボルヘスと、場合によっては相反するはずの、あり得ないくらいに多様なファン層にアピールする要素が満載されていることになる。正直言おう。それはウソじゃないのだ。それどころかあなたはあなたで、またいくつかの意外な名前をつけくわえたくなるはずだ。



 





にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ  
にほんブログ村

プライバシー・ポリシー

コメント

プロフィール

Author:eakum
はてなダイアリーから引っ越してきました

スポンサード・リンク






カテゴリ
全記事表示リンク

全ての記事を表示する